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水曜日
2018年10月18日
ブログ「未来の家」

光念寺 私の住む街、加古川の紹介です。

加古川市加古川町寺家町、そこに光念寺(こうねんじ)はあります。

 

寺家町通りは、加古川宿として西国街道を往来し、

加古川を渡る人々で賑わう宿場町でした。

 

光念寺はかつて加古川宿本陣の南に隣接したお寺でした。

 

大石 内蔵助の桜石、原 宗右衛門の源平屋島合戦枕屏風

光念寺は、慶長元年(1596年)、本多西賢(ほんださいけん)が創建しました。

真宗大谷派の寺院で、本堂には本尊の阿弥陀如来が祀られています。

 

三代目住職、龍心(りゅうしん)の妻は、

赤穂浪士の一人、原宗右衛門の妹でした。

そのため、この寺には宗右衛門ゆかりの『書状』や、

大石内蔵助(良雄)の『桜石』が伝わっています。

 

『大石の、庭の櫻のなごりにて、花のすがたを石にのこせり』

また、宗右衛門が大切にしていた『源平屋島合戦の枕屏風』も残されています。

 

松岡 青蘿(まつおか せいら)ゆかりのお寺

光念寺は、江戸時代の俳人、松岡 青蘿(まつおかせいら)ゆかりの寺です。

境内には、墓と顕彰碑があります。

松岡 青蘿は、元文5年(1740年)前橋藩士の武士の子として江戸で産まれ、

二十歳のとき姫路藩に移された後、暇を命じられ諸国吟遊の生活に入ります。

 

青蘿は、松尾 芭蕉を敬愛し、俳諧を志します。

 

栗本庵(くりもとあん)栗の本 青蘿(くりのもとせいら)

俳諧師となった青蘿は、明和4年(1767年)に加古川宿を訪れました。

加古川宿の有力な庄屋や町人は、文化の良き理解者たちでした。

 

そこで、青蘿は光念寺あたりに三眺庵という庵(いおり)を結んで暮らしました。

この三眺庵の庭に、栗の木があったことから、人々から栗本庵と呼ばれ、

青蘿自身も栗の本 青蘿(くりのもとせいら)と呼ばれました。

 

栗の本の号と栗本庵は、玉屑(ぎょくせつ)や可大(かだい)など、

代々門人へと受け継がれ、幕末まで続いたそうです。

 

光念寺、俳人松岡青羅 ここに眠る。

残念ながら、現在この門流を継承するものはいませんが、

門流と庵がこれほど長く受け継がれた例はあまりありません。

 

境内には、門人たちにより青蘿塚が建てられ、

そこには青蘿の辞世の句が詠まれています。

 

ふなばたや 履ぬぎすつる 水の月(布南波太也 履奴幾寸津留 水乃月)。

 

俳人、松岡青蘿ここに眠る。

 

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