鶴林寺の花まつり 生まれてすぐに7歩歩かれたお釈迦様は「天上天下唯我独尊」と言われました
令和元年5月8日に、鶴林寺で、お釈迦様の誕生をお祝いする法要「花まつり」が行われます。
2600年前、現在のネパール国のルンビニ園で生まれましたお釈迦様は、生まれてすぐに東西南北へ7歩歩かれ、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と言われたと伝えられています。
今日は、7歩歩かれた意味と、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」の意味を書きたいと思います。
鶴林寺、釈尊降誕会「花まつり」
令和元年5月8日(水)9:00~15:00(当日入山無料です)
当日は、本堂で、甘茶の接待や、塔婆回向、納骨と納髪の供養も執り行われます。
鶴林寺:加古川市加古川町北在家424
TEL:079-454-7053
FAX:079-454-7055
天上天下唯我独尊の意味とは? 俺が一番偉い!ではありません
「天上天下唯我独尊」の「唯我独尊」を「唯、我、独り尊い」から、俺一人が偉い、と解釈して、よく「俺が一番偉い!」という意味に誤解されていますが、それは大きな間違いです。
「唯我独尊」の「我」は、お釈迦さまだけのことではなく、我々すべての人間のことなのです。「唯我独尊」とは、ただ我々人間のみが果たすことのできる尊い使命、たった一つの目的を持っている、という意味です。
何の為に生まれてきたのか、何の為に仕事をして生きているのか、苦しくても生きねばならないのはなぜか、人生の目的を教えられたのが、お釈迦さまであり、仏教なのです。
お釈迦様が生まれた2600年前は、厳しい社会の階級である「カースト制度」があったそうです。
そのカースト制度を打ち破って、お釈迦様は、「すべての人は尊い目的を果たすために、人間として生まれてきたのです!」「すべての人は平等です!」と宣言されたのが「天上天下唯我独尊」のお言葉なのです。
お釈迦様が生まれてすぐに7歩歩かれた意味とは?
生まれてすぐに7歩歩まれたとは、6より1多い「7」に意味があります。私たちの生命は「六道」という迷いの世界を輪廻(りんね)していると、仏教では教えられています。
「六道」とは「六界」ともいわれていて、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の6つの迷界、分かりやすく言うと、苦しみの世界のことです。
お釈迦様が7歩歩まれたとは、この6つの迷界(苦しみの世界)から一歩出て離れることを表しています。すべての人に「人間に生まれた目的は、この六道を出離して真の幸福になることです!」と示されたのです。これが「7歩」の意味です。
六道(六界)については、次をご覧ください。簡単な説明ですが、参考になればと思います。
六道(六界)とは?
◆地獄界は、最も苦しみの激しい世界のことです
◆餓鬼界は、食べ物も飲み物もみな炎となって食べられず飲まれもせず、飢えと渇きで苦しむ世界のことです
◆畜生界は、犬や猫、動物の世界。弱肉強食の境界で、常に不安におびえている世界のことです
◆修羅界は、絶えない争いのために苦しむ闘争の世界のことです
◆人間界は、苦楽相半ばしている、我々の生きている世界のことです
◆天上界は、六道の中では楽しみの多い世界ですが、悲しみもあり寿命もあり、迷界とされています
お釈迦様の教え(仏教)を聞けるのは人間だけ
私たちは、生を受け、命を亡くし、また生を受け、苦しみ続ける、迷いの世界「六道」をぐるぐる廻っています。その六道から、離れる道を明らかにしてくれているのが、お釈迦様の教え、仏教です。
ただ、仏教は、人間に生まれたときにしか聞くことができません。人間に生まれた目的は、仏教を聞いて、六道を離れ、本当の幸福になることなのです。そんな尊い目的を持った命だから、一人一人の命が尊いといわれているのですね。
そして、お釈迦様が説かれる仏教には、「すべての人が迷いを離れて本当の幸せになれる道」が示されています。
そして、お釈迦様がいなければ、誰も聞くことができなかった教えが、あまりにも尊いために、花まつりで、お釈迦様の誕生仏に甘茶をかけて、誕生日をお祝いするのですね。
そして「すべての人が迷いを離れて本当の幸せになれる道」とは、どういうものかについて、花まつりをご縁に、お釈迦様の教えに触れてみてください。
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