西条古墳群・西条廃寺(さいじょうこふんぐん・さいじょうはいじ)私の住む街「加古川」の紹介です
加古川市西条、加古川の左岸、西条の城山(じょやま)から伸びる印南野大地(いなみのだいち)の丘陵一帯には、多くの古墳があります。
それらは「西条古墳群(さいじょうこふんぐん)」と言われています。
西条古墳群は、現在、行者塚古墳(ぎょうじゃづかこふん)、人塚古墳(ひつづかこふん)、天塚古墳(あまづかこふん)の三基を残すだけとなり、それぞれが国の史跡に指定されています。
加古川流域最大の前方後円墳「行者塚古墳」
その中でも、行者塚古墳は、
5世紀初めに造られた、加古川流域では、最大の前方後円墳です。古墳整備計画に伴い、平成7年に発掘調査が行われました。
古墳の大きさは、
全長99メートル、後円部の直径は68メートルです。
古墳の斜面は、
地元で産出された凝灰岩の葺石で覆われ、何重にも埴輪が廻らされていました。
この古墳からは、
3~4世紀の中国製とみられる国内最古級の金銅製帯金具が出土しました。
金銅製帯金具、家形埴輪、などの出土品
この時代の金銅製帯金具は、
日本では奈良県にある新山古墳と、この行者塚古墳の二ヵ所から出土しています。
他に朝鮮半島からもたらされた馬具や鉄製品の材料である鉄蹄なども見つかっています。
これらの出土品から、
5世紀ごろには朝鮮半島から大量の鉄の原料や道具が伝えられていたことや、当時の対外交流や技術の進歩がうかがい知れます。
また、前方西側の作り出しからは、
家形埴輪の他に供え物に見立てた、アケビや菱の実、鳥や魚の土製品が出土しました。
これらの出土品は、
古墳での儀式の様子を知る手掛かりとなりました。
加古川市内最古の古代寺院跡「西条廃寺」
人塚古墳に隣接する「西城廃寺」は、
奈良時代前期に建てられ、平安時代まで続いた、加古川市内最古の古代寺院跡です。
西条廃寺では、
塔の土台である基壇や、塔の中心の柱を建てた礎石である心礎(しんそ)、周囲に造られた塀の跡などが確認されています。
そこには、金堂や講堂などの建物と、
それを取り囲む回廊もあり、法隆寺式伽藍配置であると確認されました。
ここからは、瓦もたくさん出土し、
その文様が法隆寺の瓦とよく似ていることも分かりました。
塔の跡から発見された青銅製の九輪(くりん)や風鐸(ふうたく)は、塔の最上部にある装飾品の一部とみられています。
これらの九輪や風鐸は復元されて加古川総合文化センターで展示されています。
兵庫県指定史跡公園「北山公園」
西条廃寺は、兵庫県指定史跡公園「北山公園」として整備されています。
塔、金堂、講堂の基壇が復元されています。
この公園は、
歴史学習やレクリエーション活動の場所として、古代ロマンを感じる憩いの空間となっています。
マップ(西条古墳群・北山公園)
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