宗佐厄神八幡神社(そうさやくじんはちまんじんじゃ)宗佐の厄神さん 私の住む街「加古川」の紹介です
加古川市八幡町野村、そこに「宗佐厄神八幡神社(そうさやくじんはちまんじんじゃ)」はあります。
田園が広がる加古川市の北東部、山の中腹に緑の銅板屋根の神社が目を引きます。
山裾の大鳥居を抜け、なだらかに続く長い石段を上がると「宗佐厄神八幡神社」です。
この神社は、品陀別命(ほむだわけのみこと)、息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)、仲姫命(なかつひめのみこと)が祀られています。
和気清麻呂(わけのきよまろ)と宗佐の厄神さん
「宗佐厄神八幡神社」は、天平勝宝元年(749年)、孝謙天皇の勅願所として建てられました。
後に、「和気清麻呂(わけのきよまろ)」が神託の使者として、九州宇佐八幡宮へ向かう途中、ここ八幡神社で僧道鏡(どうきょう)の家来に襲われました。
すると、突然、巨大な一頭のイノシシが現れ清麿を救いました。そして、約300頭のイノシシが、清麻呂の御輿の前後を護衛しながら、宇佐八幡までの道を無事に案内したのです。
難を逃れた清麿は、無事、大役を果たしたと伝えられています。
それ以来、「宗佐厄神八幡神社」は厄除けの大神様として人々の熱い信仰を集め、宗佐の厄神さん(そうさのやくじんさん)と呼ばれ、親しまれています。
宗佐厄神さんの「社殿・内拝殿・外拝殿」
應和年間の「961年から964年」に、大規模な社殿が建てられました。
しかし、天正6年(1578年)の三木合戦で、社殿が全て消失してしまいますが、すぐに再建が始まり、現在の社殿などが、およそ10年の月日をかけて建てられました。
その後、宝永4年(1707年)に本殿、文政5年(1822年)に内拝殿、昭和11年に外拝殿が改修されました。
本殿は木造の入母屋造りで、屋根は檜皮葺と静かな落ち着いた佇まいを見せています。内拝殿と外拝殿は、銅板屋根に葺き替えられ、荘厳さを醸し出しています。
宗佐厄神さんの「神楽殿」と「神輿庫」
本殿の東に「神楽殿」。この神楽殿は祈祷殿として、平成15年に建てられました。
本殿とは対照的に、朱塗り柱と白壁のコントラストが美しく、とても華やかな印象を受けます。
本殿の東には「神輿庫」があります。白と黒の碁盤目が斜めに交差する、多摩湖壁が印象的です。
播州地方に春を告げる「厄除大祭」
毎年、2月18日と19日には、「厄除大祭」が開かれます。
「宗佐厄神八幡神社」の「厄除大祭」は、播磨三大祭の一つで、全国各地からたくさんの参拝者が訪れます。
境内では、露店や植木市が開かれ、厄払いや、植木を楽しみに訪れる人々で、大変な賑わいを見せます。
厄神さんの愛称で知られる厄除大祭は、播州地方に春を告げる祭りとも言われています。
マップ(宗佐厄神八幡神社)
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