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水曜日
2018年12月08日
ブログ「未来の家」

平之荘神社・報恩寺 私の住む街、加古川の紹介です。

加古川市平荘町山角、山のふもとの東西に、平之荘神社(へいのそうじんじゃ)』報恩寺(ほうおんじ)が隣接して建っています。

 

平之荘神社は、明治時代の神仏分離までは、西隣の報恩寺の鎮守神社でした。播磨の守護、赤松 則村の庇護を受け、人々のお参りが絶えない神社でした。

 

神社の境内には、割拝殿(わりはいでん)幣殿(へいでん)、そして一段高くなったところに本殿が建っています。本殿は、左右に翼殿(よくでん)を持ち、三社並列のような形をしています。

平之荘神社の能舞台 地元小学生による狂言

祭神は、建速素戔嗚尊(たけはやすさのをのみこと)をはじめ、七柱が祀られています。

 

貞享5年(1688年)に建てられた能舞台は、一般的な切り妻の能舞台建築です。虹梁(こうりょう)の下に蟇股(かえるまた)、正面には植物、背面には巴門の彫刻が施されています。平成2年に屋根の葺き替え、平成19年に床の張り替えをしました。

 

毎年2月には、地元の平荘小学校の6年生による狂言が演じられ、子どもたちが、日本の伝統芸能を学ぶ舞台になっています。

二基の板碑 阿弥陀三尊種子板碑 と 釈迦三尊種子板碑

神社へ向かう石段の登り口の両脇には、古墳の組み合わせ式石棺を利用した二基の板碑(いたび)が建っています。

 

左側は、鎌倉時代、弘安元年(1278年)の阿弥陀三尊種子 板碑です。右側は、釈迦三尊種子 板碑で、この板碑には、年号が記されていません。これらは、市内最古の石造遺品として、加古川市指定文化財になっています。

 

特に、釈迦三尊種子 板碑は、兵庫県内で現存しているのは、この一基だけで、極めて珍しいものです。

高御藏形式の神輿 獅子舞 と 樽神輿

神社には、八角形の屋根を持つ、高御蔵形式の神輿があります。

 

この神輿から、応安3年(1370年)の墨書がある棟札が見つかり、兵庫県内最古の記録がある神輿として注目され、平成13年に加古川市指定文化財になりました。

 

毎年10月に行われる秋祭りは、村を挙げての伝統行事である獅子舞樽神輿が奉納され、多くの人で賑わいます。

慈心上人による開基、報恩寺 本尊は十一面観世音菩薩

報恩寺は、真言宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩です。和銅6年(713年)、慈心上人(じしんしょうにん)の開基と言われています。

 

中世、平之荘の中心であった報恩寺の境内には、鎌倉、室町時代の石造遺品が多く残っています。

 

本堂の西側、墓地の入口に、高さおよそ6メートルの花崗岩でできた美しい塔が建っています。これは、兵庫県指定文化財石造十三重の塔です。基礎には二つの四角い切石が使われ、それぞれの層の屋根は厚く力強いそりが張っています。

四基の石造五輪塔、石棺仏、石棺板碑

この塔の奥に、花崗岩でできた、四基の石造五輪塔が並んでします。

 

左端は、応永10年(1403年)の銘文があり、室町時代初期のものです。その隣にある五輪塔は、正和5年(1316年)の銘文より、鎌倉時代末と考えられ、加古川市内最古とされています。三番目の五輪塔には、銘文はありませんが、これも鎌倉時代末と思われています。

 

右端の五輪塔は、丈治6年(1367年)の銘文を持ち、南北朝時代とされています。いずれの四基も、ほぼ同じくらいの大きさで、形体もよく整った五輪塔群として、兵庫県内でも数少ないものです。

 

播磨地方では多くの石棺仏(せっかんぶつ)が見られます。この報恩寺は鎌倉時代の『石棺板碑(せっかんいたび)』、南北朝時代の『石棺仏』が残るなど、中世石造品の宝庫になっています。

追儺式、赤鬼・青鬼・子鬼

毎年2月11日に、本堂で追儺式(ついなしき)が行なわれます。

 

大般若経の転読法要の後、棕櫚の木の花をあしらった面の赤鬼・青鬼・子鬼が本堂の縁をまわります。裏山から取れたモチツツジの枝に紙でかたどった花びらを付けたものや、松明などが、無病息災を願って、鬼から人々に授けられます。

 

鬼の面を頭にかぶせてもらうと、元気な良い子に育つと言われています。

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