志方八幡神社(しかたはちまんじんじゃ)私の住む街「加古川」の紹介です
加古川市志方町志方町、志方中学校の北東にある小高い丘の桜並木の参道を登ると古いたたずまいの志方八幡神社(しかたはちまんじんじゃ)はあります。
天永2年(1111年)宮谷に創祀され、明応元年(1492)現社地に奉還して八幡神を勧請しました。
古来、厄除安産の神、交通安全の神として高く崇敬され、志方荘30ヶ村を鎮守したといわれています。
志方八幡神社は、播磨三社八幡の一つで、祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依比売命(たまよりひめみこと)です。
播磨三社八幡の一つ志方八幡神社は「志方の八幡さん」と呼ばれ親しまれています
志方八幡神社は、天永2年(1111年)志方の宮谷(みやだに)に建てられ、妙見大明神(みょうけんだいみょうじん)と崇められていました。
明応元年(1492年)志方城主により今の場所に社を移し、八幡神を祀りました。古くから、志方荘の30の村を鎮守して来ました。
この神社は、播磨三社八幡の一つとされています。祭神は、応仁天皇、神功皇后、玉依比売命(たまよりひめみこと)です。
厄除け、安産の神様、最近では交通安全の神様として、志方の八幡さんと呼ばれ、人々から親しまれています。
武神八幡神の社、能舞台、検断場
拝殿は、大きな割拝殿で、入母屋造り、桁行が長く、天井は太い梁が縦横に組まれています。
武神八幡神の社として戦の絵馬が見られます。ここには、たくさんの絵馬が掲げられ、絵馬殿を兼ねているようです。
拝殿に面して建っているのは能舞台です。能舞台では、江戸時代以降、明治の初めまで、能楽が盛んに演じられ、毎年秋の祭礼に奉納されていました。
検断場(けんだんじょう)という見所(けんしょ)が東西両側に設けられ、そこから舞台を観るようになっています。棟がわかれた見所が建っているのは他に例を見ません。
西本願寺の能舞台に次いで古い能舞台、そして胡蝶の舞
昭和40年の台風で、能舞台、橋掛かりが倒壊したとき、「寛文4年(1664年)8月建立」の銘文を発見し、日本最古である西本願寺の能楽堂に次いで古い、貴重な建造物であることが分かりました。
現在の能舞台などは、平成4年に再建されたものです。
毎年10月の神幸式(しんこうしき)では、地元の子どもによる新しい形の能楽、胡蝶の舞(和光楽)が奉納されます。
マップ(志方八幡神社)
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