泊神社(とまりじんじゃ)私の住む街「加古川」の紹介です
加古川市加古川町木村に、「泊神社(とまりじんじゃ)」はあります。
その昔、天照大神の岩戸隠れのとき、怒りを鎮めるため鏡が二枚造られ、一つは伊勢神宮に祀られ、もう一つは海に流されました。
その鏡が泊まりついたところに「檍の木(もちのき)」があり、「檍原泊大明神(あおきはらだいみょうじん)」として祀られました。
家庭平和・夫婦和合・稼業成就にご利益 平成20年に国の登録有形文化財に
神門を潜ると社殿が見えてきます。
神楽殿(かぐらでん)・幣殿(へいでん)・本殿(ほんでん)が一体となった宮構えで、厳かなたたずまいを見せています。
「神楽殿」は、屋根が入母屋造りの本瓦葺で、幣殿へとつながっています。「幣殿」の屋根の中央は、切妻造りで、その両側面は桟瓦葺(さんがわらぶき)。また「本殿」の屋根は、入母屋造り妻入りで銅板葺になっています。
平成20年に「本殿」を含む八棟が、「国の登録有形文化財」になりました。
現在の祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)・国懸大神(くにかかすのおおかみ)で、家庭平和・夫婦和合・稼業成就にご利益があるとされています。
泊神社は宮本武蔵ゆかりの神社です
この泊神社は、宮本武蔵ゆかりの神社として広く知られて、武蔵の養子、宮本 伊織(みやもといおり)の撰文による棟札が保存されています。
承応2年(1653年)に伊織が宮本武蔵の供養の意を込め、故郷の氏神である泊神社の全社殿一式を再建したことが書かれていました。
11行にわたる漢文で書かれた伊織の表白文は、宮本武蔵の研究資料としては、極めて高い価値のあるものとされています。
また同じ頃、伊織は「三十六歌仙図絵馬」を奉納しています。これは、狩野探幽の門人、幸田重信によるもので、平安中期の代表的な三十六歌人の像と和歌が描かれています。
この扁額は「加古川市指定文化財」になっています。
石灯籠と南国朝時代の石弾城跡
本殿の裏の、石玉垣の囲いの中には、花崗岩でできた大きな石灯籠があります。これらは、宮本伊織とその一族である、田原正久が、承応2年(1653年)に寄進したものです。
伊織寄進の石灯籠は、高さ279センチメートル、正久寄進のものは、高さ165センチメートルです。
泊神社の境内は広く、本殿の西から北にかけて、多くの社が建ち並び、一角には南国朝時代の「石弾城跡(いしはじきじょうせき)」があります。
神楽殿の南の能舞台
神楽殿の南には、切妻造り妻入りの美しい能舞台があります。西に「脇座」、背面に「後座」を設け、「橋掛かり」が続いています。
天井は化粧屋根裏天井で、豪快な梁組です。神社関係者をはじめ、町内会の人々の、伝統的な景観を後世に伝えたいという熱意から、平成19年に改修され、翌年には、加古川薪能(かこがわたきぎのう)が催されました。
泊神社の国恩祭
泊神社の国恩祭は、天保4年(1833年)より続き、旧加古郡の加古と旧印南郡(いんなみぐん)の伊奈美から22の神社の神々を迎え入れ、世界平和や郷土の安泰を祈願する、全国でも珍しい祭礼です。
平成22年5月、11年に一度のこのお祭りに、勇壮な竹割り神事や活気あふれる神輿入りが花を据え、厳粛に神事が執り行われました。
国恩祭を支える地域の人々の、伝統を護ろうとする熱い思いが伝わってきます。
マップ(泊神社)
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