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水曜日
2018年11月04日
ブログ「未来の家」

加古川河口 私の住む街、加古川の紹介です。

兵庫県の南西部を流れる加古川(かこがわ)

 

流域面積1,730平方メートル、幹線流路延長96キロメートルと、兵庫県屈指の河川です。

 

加古川は、朝来市と丹波市の境にそびえる、標高962メートルの粟鹿山(あわがさん)を源としています。

 

加古川の支流、そして播磨灘へ

加古川は、粟鹿山を源とし、北から

『篠山川(ささやまがわ)』『比延谷川(ひえたにかわ)』

『杉原川(すぎはらがわ)』『東条川(とうじょうがわ)』

『万願寺川(まんがんじがわ)』『美嚢川(みのうがわ)』の支流を

合流し播磨灘に灌いでいます。

 

加古川では、舟運(しゅううん)が行なわれていました。

文禄3年(1594年)、『阿江 与助(あえよすけ)』ら3人が、

闘竜灘(とうりゅうなだ)から河口まで、船の水路を開いたことに始まります。

 

それにより江戸時代、加古川は、『高瀬舟』と呼ばれる船底の浅い木船により、

物資の輸送が盛んに行われました。

 

3人が一組となる加古川を下る高瀬舟には、

年貢米や各地の農産物などが積み込まれ、荷を下ろした船には、

塩や干鰯などを積み込んで、川を上っていきました。

 

320年にも及ぶ加古川の舟運は、幕を閉じるのです。

加古川の舟運は重要な役割を果たし、

河口周辺は、舟運(しゅううん)による物資の集散地として、

城下町である姫路に次いで繁栄しました。

 

しかし明治以降、船座が廃止され、

大正2年の播州鉄道、今のJR加古川線の開通とともに、

高瀬舟による輸送は縮小し、

320年にも及ぶ加古川の舟運は幕を閉じました。

 

加古川の河口は、川幅がおよそ600メートル

高瀬舟が行き交っていた、かつての加古川河口は、

左岸が加古川市右岸は高砂市

両岸ともに工場が建ち並ぶ工業地帯になっています。

 

加古川の河口は、川幅がおよそ600メートルにも広がり、

中洲や干潟ができています。

そこには葦が育ち、

『ハクセンシオマネキ』など貴重な生き物がたくさん生息しています。

『ハクセンシオマネキ』の雄は片方に大きなハサミを持ち、

白い扇を仰ぐようにハサミを動かすことから、

『ハクセンシオマネキ(白扇潮招)の名が付いてようです。

 

夕暮れの加古川の風景

また、穏やかに流れる岸辺には、野鳥が集まってきます。

潮の香りがする河口付近では、

強い風に乗ってウィンドサーフィンを楽しむ人も見かけます。

 

沖には播磨灘を行き交う貨物船の姿が見えます。

夕暮れ時、対岸に工場のシルエットに夕陽が沈んでいきます。

 

この記事を書いた人
清水 浩治 シミズ コウジ
清水 浩治
◆ブログ「 未来の家」では、私の住む街「加古川」の魅力を紹介、不動産に関する豆知識や、トラブル解決など、情報発信を日々行っております。◆「家や土地の物件情報も大切です。しかし、もっと大切な情報があるはず!」と、私は、いつも考えています。◆加古川市で暮らしていただくうえで、大切な子育てや、お役立ち地域情報、不動産の取扱いについて知っていて欲しいことを最優先で発信しています。
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