手枕の松・住吉神社(たまくらのまつ・すみよしじんじゃ)私の住む街「加古川」の紹介です
加古川市別府町東町に、「住吉神社と手枕の松(たまくらのまつ)」はあります。「住吉神社」は、「住吉大明神」が祀られ、漁業や航海の安全を護る神社です。
境内に建つ石造りの鳥居や、灯籠の大きさに目を見張ります。その豪壮さとは対照的に、上品な佇まいを見せる印象的な神社です。
古くから人々の信仰を集めていた「住吉神社」
「住吉神社」は、平成14年5月に再建されました。
この神社の創建は不明ですが、貞享5年(1688年)と記された古い灯籠があり、古くから人々の信仰を集めていたことが分かります。
播磨鑑の記述は、さらに遡り、貞治元年(1362年)、住吉大明神の夢のお告げがあり、ここに大きな松の木が、一夜にして生えたと記されています。
これが「住吉神社の松の起こり」です。
手枕の松(たまくらのまつ)の名の由来
江戸時代、地元の俳人、滝 瓢水(たきひょうすい)は、住吉神社の松の枝ぶりが、横に傾き、腕枕をしているかのように見えることから、「手枕の松(たまくらのまつ)」と名付けました。
その名は今でも人々に親しまれています。
「手枕の松」は「播州松巡り」の東の端
ここ住吉神社から西には、
浜宮神社の菅原道真公の「お手植えの松(鹿児の松)」、尾上神社の「尾上の松(おのえのまつ)」、そして高砂市の「相生の松(高砂神社)」、曽根天満宮の「曽根の松」まで、名松が続いています。
伊勢参りの旅が庶民の間で盛んだったころ、この住吉神社は、歩いて名松を廻る「播州松巡りの東の端」にあたり、この松を目指して大勢の参拝者が訪れたそうです。
古くから人々に愛されてきた「手枕の松」
初代の松は、大正時代に枯れ、現在の松は三代目です。樹齢100年近くといわれ、高さおよそ5メートル、枝振りおよそ20メートルと重厚な姿です。
周囲の玉垣は、初代の松を囲っていた石柱で、潮風に浸食されながらも代々の松を護ってきました。
古くから、人々に愛され、静かに別府の港を見守ってきた名松「手枕の松(たまくらのまつ)」。青々とした枝が円形に広がり、その優美な姿は、訪れる人を和ませてくれます。
マップ(手枕の松・住吉神社)
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