教信寺(きょうしんじ)私の住む街「加古川」の紹介です
加古川市野口町野口に「 教信寺(きょうしんじ)」はあります。
このあたりには、かつて西日本最大の駅家、「賀古の駅家(かこのうまや)」がありました。
平安時代初期、この駅家の北に「教信上人(きょうしんしょうにん)」が庵を結び、その庵跡に建てられた寺院が「念仏山教信寺」の始まりです。
山門から続く桜並木を抜けると、正面に緩やかな勾配の屋根が目に入ってきます。
教信寺の「本堂、薬師堂、開山堂」
上品な佇まいが印象的なこのお堂は、阿弥陀如来を本尊とする「本堂」です。
右手に薬師三尊が祀られている「薬師堂」があります。
薬師堂と向かい合っているのが「開山堂」です。
教信寺のこの広い境内は、平成10年に「加古川市指定史跡」となりました。
教信上人廟(きょうしんしょうにんびょう)絶え間ない人々のお参り
境内左手奥にある「教信上人廟」には、遠方からも絶え間ない人々のお参りがあります。
教信上人は、念仏を唱えながら仏の教えを説き、お百姓の手伝いをし、わらじを作って貧しい人に与えたり、旅をするお年寄りの荷物を運んだりして、大勢の人を助け、人々と共に暮らし、共に働き、旅人や農民を助けました。
そのことから、「荷送り上人、阿弥陀丸」とも呼ばれ、人々から親しまれました。
また、水に困っている農民のために溜池を造りました。その池が、今も国道2号線沿いに「駅ヶ池(うまやがいけ)」として残っています。
教信上人の墓塔と伝えられる「石造五輪塔」は、高さ208cmで花崗岩製、請花・笠・台石の一部に欠けがありますが、堂々とした風格をもっています。
各部の形式や彫法などから鎌倉時代末期のものと思われ、兵庫県指定文化財となっています。
教信寺の開山堂に祀られている「教信上人の頭の像」
大治元年(1126年)、崇徳天皇が勅願寺と定め、以後この寺は、「念仏山 教信寺(ねんぶつざん きょうしんじ)」となりました。
教信上人の教えを受け継ぐこの寺は、親鸞や一片をはじめ、鎌倉浄土仏教に多大な影響を与えました。
自分の遺骸を鳥獣に施しなさいと言う教信上人の遺言通り、庵の前に横たわる教信上人の亡骸を犬や鳥が争って食べていましたが、不思議なことに、南無阿弥陀仏と唱えていた頭の部分だけが、綺麗なまま残されていました。
その出来事が語り継がれ、木造の教信上人の頭の像が、「開山堂」に祀られています。この像は、平成13年「兵庫県指定文化財」になりました。
阿弥陀如来と二十五菩薩、野口のねんぶったん
この開山堂では、絵解き説法が行なわれます。
絵解き説法の中に、念仏往生を願った教信上人を迎えにく阿弥陀如来と二十五菩薩が描かれています。その二十五菩薩行道面が堂内に祀られています。
念仏による庶民仏教の普及に努めた教信上人。
その思いは、今日も絶えることなく、5月と9月に行われる「野口念仏大法要」として続いています。
秋の念仏念会は、「野口のねんぶったん」と親しまれ、教信上人に倣って念仏する法要や念仏踊りが行なわれ、大変な賑わいを見せます。
マップ(教信寺)
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