水管橋(すいかんきょう)私の住む街「加古川」の紹介です
穏やかに流れる一級河川「加古川」は、兵庫県で最も長く、川幅が広い川です。この川に架かる橋の中で、一番美しい橋が「水管橋(すいかんきょう)」です。
日本の高度成長期、臨海部の工業地帯の発達に伴い、安定した工業用水が必要となりました。
そこで、昭和41年に「平荘湖(へいそうこ)」を、さらに昭和57年に「権現ダム(ごんけんだむ)」を建設し水の需要に備えました。
平荘湖や権現ダムに蓄えられた水を送る「水管橋」
「水管橋」は、平荘湖や権現ダムに蓄えられた水を、加古川市南部の工業地帯へ送るために、昭和55年に建設されました。
「水管橋」は、東神吉町升田(ひがしかんきちょうますだ)から加古川町中津(かこがわちょうなかつ)まで架けられ、全長は426メートルあります。
橋に直径1.2メートルの送水管を二本渡し、一日およそ15万トンの水を工業用水として送っています。
加古川ツーデーマーチのウォーキングコース
鮮やかなセルリアンブルーの六つのアーチが加古川を横切っています。橋に架けられた水管の上は、自転車歩行者専用道路になっていて、朝夕は通勤や通学の人々が行き交います。
「水管橋」は毎年11月に開催される、自然に親しみ歩く喜びとふれあいを目的とした「加古川ツーデーマーチ」のウォーキングコースにもなっていて、全国から訪れるウォーカーが「水管橋」を渡ります。
加古川では、四季を通じて多くの野鳥を観察ができるので、バードウォッチングを楽しむ人や、写真愛好家が多く訪れます。
夕暮れの美しい水管橋が加古川に映し出されます
加古川の流れは、かつて升田村(ますだむら)の手前で東西二本の流れに分かれていました。また、大雨のたびに下流の村々が洪水に流されたとも伝わっています。
万治元年(1658年)から3年の歳月をかけて、当時の姫路城主「榊原忠次(さかきばらただつぐ)」により、升田堤(ますだつつみ)が築かれ、流れが一本にまとめられました。
ちなみに、加古川の夏の風物詩「加古川まつり花火大会」の花火は「水管橋」付近より打ち上げられ、周囲に遮るものがないので360度どの方向からも観ることができます。
約5000発の花火を観ようと、市内外より約7万人の見物客が訪れ、東播磨随一の花火大会として知られています。
夕暮れになると「水管橋の美しい姿」が、加古川に映し出されます。加古川の水面から吹く風を受けながら「水管橋」を渡ってみませんか。
マップ(水管橋)
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