五ヶ井用水(ごかいようすい)私の住む街「加古川」の紹介です
「五ヶ井用水(ごかいようすい)」は、加古川市内を流れる農業用水です。
網の目のように縦横に設けられた水路は、1,400年もの間、加古川の恵みを運んできました。
聖徳太子によって造られた日本最古の取水施設
五ヶ井用水は、推古14年(607年)、聖徳太子によって造られた日本最古の取水施設とされています。
加古川大堰の近くにある「上の太子岩」と日岡山の北にある「下の太子岩」、そして「鶴林寺の三重塔」この三点を結ぶ線で聖徳太子は水路を掘ったと言う伝説が残っています。
用水は当初、関を設けた地名から平松の井(ひらまつのゆ)と呼ばれていましたが、五つの地区を潤すことから五ヶ井(ごかい)と呼ばれるようになりました。
五ヶ井用水の流れは総延長63キロメートル
五ヶ井用水は、加古川大関から取水し、新井用水(しんゆようすい)と並び南に下っていきます。曇川樋門(くもりがわゆもん)で三つのルートに分かれます。
日岡神社の北には談合橋(だんごうばし)と呼ばれる橋が用水に架かっています。聖徳太子が用水を計画したとき、日岡神社の日向明神と、この橋の上で相談したと言う伝えがあります。
用水は、曲線を描きながら田園の中を流れ、市街地に向かっています。現在の五ヶ井用水は十系統、枝分かれした水路も含めると総延長は63キロメートルにもなります。
雁南川(がんなんがわ)スイングゲート
加古川町河原の加古川バイパスの高架下です。
市街地の西を南下する水路は、延長9.4キロメートルで雁南川(がんなんがわ)と呼ばれています。この水路の起点には水量を調整するスイングゲートが設けられています。
さらに、南へ続く流れは、建ち並ぶ民家のそばを通って本町地区へ。
ニッケ旧加古川工場内の暗渠
「ニッケ旧加古川工場内の暗渠」です。
用水は国道2号線を横切り、小さなため池に流れ込みます。ニッケの社宅街、水路と赤レンガの風景、用水はゆっくりと流れて行きます。
稲屋地区の泊川と五ヶ井用水
稲屋地区(いなやちく)です。
泊川(とまりがわ)と高いところを流れる用水が並行して流れる風景・・・・
水路は、養田川を経て泊川の水門へと流れて行きます。そばに、樋ノ口地蔵堂(ゆいのくちじぞうどう)が建っています。天保年間に建てられ、平成19年に前面改築されました。
加古川が改修されるまで近くに泊川の樋門(ひもん)があったため、この名が付けられたようです。
五ヶ井用水の特徴的な水路
五ヶ井用水には、この他にも特徴的な水路が見られます。水路をまたぐように建つ料理店、二股に分かれた暗渠や、住宅街の下を流れる暗渠
平野地区にある「胴切れの地蔵(どうぎれのじぞう)」のそばでは、古い工場のレンガ壁の横を水路が流れます。
古くからこの地域の稲作を支えてきた「五ヶ井用水」、現在も多くの水田を潤し、豊かな実りをもたらしてくれます。
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