未来家(みらいえ)不動産株式会社
2024年11月10日
私の住む街「加古川」の紹介です
日岡御陵(ひおかごりょう)私の住む街「加古川」の紹介です
加古川市加古川町大野に、
「日岡御陵(ひおかごりょう)」があります。
「日岡神社」の境内から長い石畳の参道を抜け、東に広がる緑豊かな「日岡山公園」の中にある大きな前方後円墳が、「日岡御陵」です。
日岡御陵は、
景行天皇(けいこうてんのう)の皇后、稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)のお墓だといわれています。
景行天皇が愛した稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)
「景行天皇(けいこうてんのう)」が、播磨の国を訪れたとき、「伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)」という美しい娘がいることを知りました。
景行天皇は、熱烈に結婚を申し込みますが、娘は恥ずかしがって、加古川河口付近の小島に隠れてしまいます。
加古の松原で娘を探していると、娘の飼っていた犬が海に向かって吠えました。それを見た景行天皇は、船で小島に渡り、ようやく娘と結婚することができました。
その後、愛した稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)が亡くなります
その後、愛した皇后、稲日大郎姫が亡くなり、景行天皇は故郷の日岡山へ葬ろうと、加古川を渡っていました。
その時、大きなつむじ風が吹いて亡骸を乗せた船が転覆してします。
川からは、
首から肩にかける飾りの布の褶(ひれ)と、髪や櫛などを入れる箱、匣(くしげ)だけが見つかりました。
これらの品々を葬ったので、この墓は「褶墓(ひれはか」とも呼ばれています。
稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)への更なる思いと愛を寄せた日岡御陵
「日岡御陵」は、4世紀ころのものとされて、南西に全長86メートルの前方後円の形をし、周りには玉垣が廻らされています。
「日岡御陵」は、播磨の国風土記や日本書紀に、景行天皇の皇后の墓と記されているため、宮内庁が陵墓として管理しています。
愛する稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)を亡くした悲しみと、后(きさき)へのさらなる思いを、ここ日岡御陵によせた景行天皇。
神話伝説が残る日岡御陵を、一度訪れてみてください。
マップ(日岡御陵)
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