お寺に行ってきました。有り難い言の葉
「常楽我浄(じょうらくがじょう)」 という言葉をご存知ですか?
聞きなれない言葉かもしれませんが、
仏様 の四つの徳(四徳)のことで、
「常」は、仏の境涯は常住不変であること
「楽」は、安楽で苦を離れたこと
「我」は、自立していて他から何の束縛も受けない
「浄」は、煩悩のけがれや迷いがなく無垢清浄(むくしょうじょう)な境地
転じて、極楽浄土にいるように何の心配もなく、のどかな生活という意味で、人間として最高の境地であり、絶対的な自由と幸福を表示しています。
「常楽我浄」は私たちが理想とする姿
この「常楽我浄」は、私たちが理想とする姿で、
この四つを満たそうと絶えずがんばっているのが
私たちの日常の姿である、と言う考えです。
ところがこれらは、到底、満たされることはありません。
何故かというと、私たち人間は、
病気にかかったり、怪我をしたり、
いつかは年老いて、やがては死んでいく身だからです。
理想と現実との矛盾を知り苦しみが絶えないのです
心の願いである「常楽我浄」 を実現させようとする限り、理想と現実との矛盾を知り、苦しみが絶えることは無い、というのが仏様の教えです。
私たちは、もの心ついて以来、知らず知らずのうちに、心の願い、つまり理想である「常楽我浄」に近づこうとして生きているため、自分の思いどおりにならないことに、しばしば遭遇することになります。
それというのも、自分中心に、ものごとを考え行動してしまうからです。
自分を中心にものごとを見ると、自分の身でさえ生きるための道具のように考えてしまいます。
ですから、老いてゆく身を嫌い、病になる身を恨み、やがては命終る身を恐れて生きることになります。
信心について、一度、考えてみてはいかがでしょうか。
仏様は、私たちに、そのようなことに囚われていたら、いつまでたっても、本当の幸せをつかむことはできないと、目覚めを促しているそうです。
自分中心にものごとを考えたり、自分さえ良ければと他人を追いやったり、自分を守るために嘘をついたりしていたら「苦」はいつも隣り合わせです。
それよりも、他人(ひと)のためになる行動をし、相手が喜ぶ言葉をかけることを続けることで「周りの人が幸せになれば自分も幸せになれる」ことを知って欲しいと、というお話でした。
お正月になると信仰心のない人でも、初詣に出かけ、神様、仏様に「今年も幸せな年となりますように」 と願掛けをされると思います。
この機に、信心について、一度、考えてみてはいかがでしょうか。
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