勝連城跡(かつれんじょうあと)繁栄、そして衰退、ときは15世紀 勝連の浪漫はそこにあった
加古川市の不動産会社の親睦旅行、沖縄の2ヵ所目、『勝連城跡』のご紹介です。
琉球王国が安定していく過程で、15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらし、国王に最期まで抵抗した有力按司(あじ) 阿麻和利(あまわり) が住んでいた城として有名です。※按司(あじ、または、あんじ)とは、琉球諸島に存在した称号および位階の一つ。
最後の城主『阿麻和利』(あまわり)
2000年に世界遺産に登録され、自然の断崖を利用した、難攻不落の城と言われる 『勝連城』 。その城壁は、優雅な曲線を描き、女性的な美しさを感じます。頂上に登ると太平洋に輝く青い海が一望できる沖縄有数の景勝地です。
ここで、勝連城にまつわる歴史を少しご紹介。
護佐丸・阿麻和利の乱
阿麻和利(あまわり) の勢力に脅威下琉球国王は、重心の 護佐丸(ごさまる) を中城城(なかくすくじょう)に住まわせ、阿麻和利をけん制し、娘の 百十踏揚(ももとふみあがり) を嫁がせました。政略結婚ですね!
ところが、天下統一を目指した 阿麻和利 は、1458年に 護佐丸 を倒し (護佐丸・阿麻和利の乱) 、王府打倒へ動き出しました。
しかし、それを妻の 百十踏揚 と、その付き人、 大城賢雄(うふぐすくけんゆう) に知られてしまい、二人が国王に危機を伝えてことで、阿麻和利 は 大城賢雄 率いる王府軍によって滅ぼされてしましました。
多くの歴史書では、阿麻和利 は琉球王府に歯向かった悪者として扱われていますが、その後の研究によって名君であったと称されていたことが分かり、『護佐丸・阿麻和利の乱』 は、二人の力を恐れた琉球王府が、彼らを排除するために仕組んだものだという説も浮上しています。
そして悲劇の王女『百十踏揚』(ももとふみあがり)
悲劇の王女 百十踏揚(ももとふみあがり)
百十踏揚 は夫の 阿麻和利 を殺した 大城賢雄 と再婚します。しかし、その 大城賢雄 も王府の陰謀により殺され、夫を失った 百十踏揚 は寂しい隠居生活を送ったと言われています。政略結婚に利用され、二度も夫を失った 百十踏揚 は、まさに悲劇の女王と言えるでしょう。
まるで海に浮かんだ天空の城『勝連城』
こんな歴史を感じながら、勝連城跡の階段や坂を登り、一の曲輪(くるわ)である標高約98メートルの頂上に、やっとの思いでたどり着いたとき、南は知念半島、北は山原(やんばる)までを見渡せ、まるで海に浮かんだ天空の城のようにも感じられる絶景に、こころを奪われることは間違いないと思います。
注意事項です!
石造りの階段や坂道には、足元が悪いところもあるので、歩きやすいスニーカーなどで行くと良いです。勝連城の頂上(一の曲輪)まで行くには、少々体力が必要です。
次回は、「鉄板焼きステーキとパフォーマンスのお店 サムズセーラーイン国際通り店」の紹介です。
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