琉球王国の創世神がつくったといわれる『斎場御嶽(せーふぁうたき)』
斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球王国の創世神『阿摩美久(アマミキヨ)』がつくったといわれる最高の聖地。
斎場(せーふぁ)は「最高位」を意味していて、御嶽(うたき)とは、南西諸島に広く分布している 「聖地」 の総称で、斎場御嶽は、琉球開闢(かいびゃく)伝説にもあらわれる、数ある御嶽の中でも、琉球王国最高の聖地だそうです。
最初に見えてくるのが、久高島遥拝所(くだかじまようはいじょ)です。
御嶽の中には六つの『イビ』という神域がありますが、中でも、大庫理(ウフグーイ)・寄満(ユインチ)・三庫理(サングーイ)は、首里城内にある部屋と同じ名前をもっていて、当時の首里城と斎場御嶽には深い関わりがあったと言われています。
琉球王国時代、国家的な祭事には、聖なる白砂を 「神の島」といわれる久高島(くだかしま) から運び、それを御嶽全体に敷きつめたそうです。
その中でも、最も大きな行事が、琉球の最高神女(さいこうしんじょ)である、聞得大君(きこえおおきみ)の就任式『御新下り(おあらおり)』だったそうです。
斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ) の参拝地として、今も多くの人々から崇拝されているそうです。
ここは御門口(うじょうぐち)と呼ばれる御嶽の入口。
琉球石灰岩でできた六つのシンプルな香炉が目につくはずです。
かつては、特別な人だけしかこの先に立ち入ることができなかったため、入れない人たちは御嶽にある六つのイビ(神域)の代わりに、この六つの香炉に手を合わせていたそうです。まずここで、神々に対する訪問の挨拶として手を合わせます。
御嶽は神の家です。
入る前に、姓名、出身地、現住所、本籍地をできれば声に出して伝えてください。沖縄では先祖に手を合わせる時も自己紹介から始めるそうです。名は自分自身、姓は祖先です。ご先祖様も一緒に聖地に連れていくのです。生まれた所や、住んでいる所を伝えるのは、あなたに関わりのある場所の神様と、沖縄の神様をつなげるためです。
さて、御門口の少し先の左手に見えてくるのが『大庫理(ウフグーイ)』です。
しばらく森の中にある一本の石畳道を登って行きます。
少し高くなった座敷のような空間の奥に、大きな岩に向かって祈りの場が設けられています。ここは聞得大君の就任の儀式が執り行われていた場所だそうです。
斎場御嶽(せーふぁうたき)の艦砲穴(かんぽうあな)。
ここは池ではなく、第二次世界大戦中にアメリカ軍が砲撃した跡です。
終戦直後には、このような穴が島中至る所にあったそうですが、現在、はほぼ埋められて残っていません。この穴は御嶽の中ということもあり、戦争遺跡として保存されています。
二番目の拝所は寄満(ユインチ)です。
台所を意味する寄満は海外から集められた交易品が溢れ、国を潤す豊穣に満ちた状態の象徴とされています。
三番目の拝所はシキヨダユル、アマダユルです。
天から垂れているような二本の鐘乳石が祈りの対象です。
天の恵みが鐘乳石を伝い滴り落ち、水が溜まる小さな壺は、吉兆を占う儀式に使われていたそうです。
四番目の拝所は、 自然にできたとは思えない不思議な空間、 斎場御嶽の三角岩、三庫理(サングーイ)です。
巨大な石灰岩がつくりだす三角形の空間は、斎場御嶽の象徴で、中でもひときわ目を引きます。巨大な岩で三角形のトンネルになっています。左側の岩と右側の岩がバランスを取っていることから、「安定の場所」と言われているそうです。
圧倒的な自然の力と造形美を感じます。斎場御嶽が琉球王国時代から特別な場所だったことに納得します。
ゆっくり歩いて向こう側にたどり着くと、右側にあるのが、チョウノハナ。クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨する場所といわれています。置かれているのはブロックではなく香炉です。
こちらも神聖な場所なので、この香炉に触ることは禁止です。
左側には、久高島を臨むことのできる拝所があります。
地図を見ると、斎場御嶽は首里城と久高島の中間にあり、その三か所を線で結ぶと一直線になります。最初の、久高島遥拝所(くだかじまようはいじょ)とともに、斎場御嶽からの景色です。
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