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水曜日
2018年10月17日
ブログ「未来の家」

寺家町商店街と寺家町周辺 私の住む街、加古川の紹介です

JR山陽本線『加古川駅』の南西側一帯を「寺家町(じけまち)」と言います。そして、その中心にあるのが「寺家町商店街」です。

 

江戸時代から寺家町は、加古川の渡し場で、西国街道を旅する人々の宿場『加古川宿』として大変、賑わっていました。

 

その昔、寺家町には、参勤交代の便を図るため、藩主の宿舎となる本陣が置かれていました。そして、加古川宿の本陣は、大庄屋であった中谷家が務めていました。

 

樹悳堂(じゅとくどう)は、明治天皇が行幸の際、昼食をとられました

陣屋は、姫路藩の加古川役所として宝暦2年(1752年)に建てられ、参勤交代で訪れる大名の応接などに使われていたそうです。

 

明治天皇が行幸(ぎょうこう)のときに、昼食をとられたことでも知られていて、『樹悳堂(じゅとくどう)』と名付けられました。

 

『樹悳堂』は、加古川宿の面影を残す貴重な建物として、平成10年、加古川市指定文化財になりました。

 

江戸時代中期以降、商工業が発達し、武士以外の人々が旅をすることも多くなり、このあたりも、旅籠(はたご)、飯屋、小間物屋などが建ち並びました。

 

旅館や呉服、洋服などの服飾店を中心に発展してきた現在の寺家町商店街は、その名残をとどめています。

 

娯楽の中心だった寺家町、そして衣食住の情報発信地だった寺家町商店街

明治32年、日本毛織株式会社加古川工場が操業を開始し、寺家町商店街や本町商店街は、仕事の終わった工員さんたちで賑わいました。

 

この頃から行われた『加古川誓文払い』は、商店街の年末の大安売りで、昭和50年頃まで、その盛況ぶりが続きました。当時は、寺家町に行くことが娯楽であり、ここは、衣食住の情報発信地でした。

 

現在も、これまでの『加古川誓文払い』に加え、土曜夜市など、新しくイベントを開催し、人々が集まる楽しく親しみのある商店街になっています。

 

昭和を彷彿させるようなレトロな建物、そして歴史を物語る古い町並みの寺家町周辺

寺家町周辺を歩くと、黒壁の旧家や商店の軒先の梲(うだつ※)など、歴史を物語る古い町並みが今も残っています。

 

検番筋(けんばんすじ)など、歴史を感じさせる呼び名が残っている界隈、細い路地の多い町並、ビルの谷間にある『北向き地蔵』、日本のベートーベンと呼ばれた『豊澤団平(とよざわだんぺい)』の石碑昭和を彷彿させるようなレトロな建物

 

若い世代が、新鮮で新たな街の表情として、それらを受け継いでいます。そんな、寺家町周辺を訪れてみませんか。

 

※梲(うだつ):日本家屋の屋根に取り付けられる小柱で、防火壁のことです。後に自己の財力を示す装飾の役割にもなりました。

 

マップ(寺家町周辺)

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