浜の宮公園・浜宮天神社(はまのみやこうえん・はまのみやてんじんしゃ)私が住む街「加古川」の紹介です
加古川市尾上町口里に、「浜の宮公園(はまのみやこうえん)」はあります。
山陽電車「浜の宮駅」の南、旧国道250号線沿いにある松林です。この松林はその昔、海岸の砂丘に松が群生したもので、古くから「浜の宮名松林」と呼ばれた記録が残っています。
道路が整備され開発が進んだ現在でも数多くの黒松が群生し、その面影を残しています。加古川市の木である「黒松」、その「黒松」が群生する浜の宮公園の面積は15.9ヘクタール、甲子園球場の約12倍もあります。
浜の宮公園内の風景 大切なリクリエーションの場です
「浜の宮公園」内には、多目的グラウンドをはじめ、市民プールや、自由広場などが整備されています。
休日には家族連れで訪れる人も多く、犬を散歩させたりジョギングをしたり、市民にとって大切なリクリエーションの場となっています。
公園の南西には、平和を願うモニュメントが建てられています。
戦時中、この松林には、陸運病院や航空整備隊が置かれましたが、現在その施設の一部が戦争遺跡として残っています。
今は、穏やかな静けさの中人々の憩いの場所となっています。
浜宮天神社(はまのみやてんじんじゃ)
公園の北西には「浜宮天神社(はまのみやてんじんしゃ)」があります。
県道から北に続く長い参道を抜けると、朱塗りの社殿が目に入ってきます。この社殿は、昭和50年3月の大改築により完成したものです。
その昔、「菅原道真公」が筑紫左遷の途中この地立ち寄り、海上の平穏と万民の幸福を祈願し松を植えました。その後、道真公を慕って神社を建てたのが始まりです。
菅原道真公永眠の地「九州大宰府」を指している「加古の浜松」
菅原道真公、手植えのその松は、「加古の浜松」とも呼ばれ、播磨路名松のひとつに挙げられています。
残念ながら、初代の松は、明治の初めに枯れてしまいましたが、現在は、社殿東側に二代目が育ち、樹齢およそ550年と言われています。
この松は、枝葉が南西に伸び、はるか菅原道真公永眠の地「九州大宰府」を指していると言われています。
「輪抜け祭り」と「湯立神事」邪気を払い、無病息災を祈る厄払いの行事です
毎年6月に夏越しの行事として、茅の輪くぐりの行事「輪抜け祭り」が行なわれています。邪気を払い、無病息災を祈る厄払いの行事で、茅の輪に用いられる茅は、古くから魔よけの植物と考えられてきました。
当日は、新しく作られた茅の輪の渡り初めが行なわれ、夜店が出て家族連れをはじめ夕涼みの参拝者で賑わいます。夜には、笹を熱湯につけ天高く巻き上げる「湯立神事」が執り行われます。
境内にはたくさんの絵馬が奉納されています。現在では、学問の神様として「学業成就を祈願」する人々が絶えません。
マップ(浜の宮公園・浜宮天神社)
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