未来家(みらいえ)不動産株式会社
2021年08月09日
お寺で頂いた心に沁みる言の葉
他人(ひと)のために「合掌の心」お寺で頂いた心に沁みる言の葉
人は自分のことは客観的に分析できなくても
他人のことなら冷静に分析できるものです。
その人を冷静に分析できる力で
他を批判するばかりでは、
自分が幸せになることはできないでしょう。
逆に人を刺す批判の針は、自分自身も傷つけてしまうものです。
相手と和合していくためには
「一心に相手のことを思う心」
尊敬の念を捧げる、感謝の念を捧げる、
相手を敬う「合唱の心」を持ちたいものです。
相手と和合する
人を批判して、中傷する姿は、
まわりの誰かが見ていています。
そして、その姿は批判の対象になるのです。
相手の足りないところを批判するのではなく、
一つひとつ、自分事として受けとめて
自らを見つめ直すことができれば、
相手と和合していける近道を
自然に見つけることができるのではないでしょうか。
そこに「合掌の心」というものがあるのだと思います。
両手を合わすことを「合掌」といいます
食事をいただくときに「いただきます」と手を合わせます。
お寺や神社に参ると、仏様や神様に向かって手を合わせます。
お盆にお墓参りをするときも、ご先祖様に手を合わせます。
人に感謝するときは心の中で手を合わせています。
人の生活の中では、自然に合掌することがたくさんあります。
右手は自分、左手は相手
右手は自分、左手は仏様
食事では自分の命と食材の命が、一つになることへの感謝をこめて、
お寺では、自分と仏様が一つになるために、合掌をするそうです。
職場にいても、学校や家庭にいても、人と向き合うときには、
相手と自分が和合できるよう「合掌の心」を持ち接して欲しいと思います。
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