2021年08月04日
お寺で頂いた心に沁みる言の葉
他人(ひと)のために「実るほど頭を垂れる稲穂かな」お寺で頂いた心に沁みる言の葉
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
人生の教訓や座右の銘としている人も多いこの言葉です。
意味としては、
「立派な人ほど謙虚な姿勢である」「人格者ほど謙虚である」というたとえで、
稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人、つまり、学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、
小人物ほど尊大に振る舞うものだということです。
見省る力 (みかえるちから)
稲穂のように、謙虚であるためには、
常に、自分の行為、言動、考えを振り返り、
反省するべきことは反省し、
正しい姿に建て替えていくことだと思います。
ですから、「見返る」ではなく「見省る」としました。
人を冷静に分析する力はあっても
自分を「見省る力」を持っていますか?
大丈夫です。
その力は、誰にでも備わっています。
ただ、うまく使えていないだけなのです。
相手は鏡
「見省る力(みかえるちから)」をうまく使うためには、
「相手は鏡」という意味を知ることです。
そのままの言葉では「相手の姿は自分の姿」になります。
しかし、「私は、相手がするような不快な行為はしない!」と思う人もいるかもしれませんが、この言葉には、もっと深い意味があります。
それは「自分自身の深層部分、抑制している自分の感情を見ている」ということです。
ほとんどの場合、相手の行為に不快感を持つ人は、相手に不快な思いをさせまいと、気を使い、努力します。
しかし、気を使い努力するということは、そうしてしまうかもしれない自分が存在する、ということなのです。
このことを知ることで、
「相手を鏡」として、自らを掘り下げていけるのです。
人の欠点を、ただ見ているだけでは、上から見下すだけの冷たい姿です。
常に、自分自身を見省り、謙虚であることで、
周り人たちとの和合ができるのです。
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