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2019年02月03日
ブログ「未来の家」

2月3日は、節分ですね! 節分って、けっこう昔からの行事で奥が深いですね!

2月3日が、『節分』であることは、日本人であれば、ほとんどの方がご存知ですよね!節分は、『季ける』という意味で、季節が移り変わる節目の日に行われる行事です。

 

昔から、立春、立夏、立秋、立冬、の前日に、1年に4回の節分がありますが、その中でも、特に、春が1年の始まりとして重要視されていたので、時代が進むにつれて、春の節目にのみ『節分』が行なわれるようになりました。

 

豆まきの由来、それは奈良時代にさかのぼります

節分の歴史は、とても古く、奈良時代の705年に始まったそうです。このときの日本は、疫病が流行していて、死者が多くでました。事態を重く感じた、ときの偉い人が、『鬼儺(おにやらい)』という儀式を行い、災いを祓おうとしました。

 

そして、豆まきが始まったのは平安時代の890年ごろとされています。

当時、立春の節分は、今の大晦日にあたるため、宮中では、『追儺(ついな)と呼ばれる儀式が行われていました。これは、陰陽師によって、旧年の厄や災難を祓うための儀式で、豆まきの原型となる行事でした。

 

鬼退治の伝説

伝説では、山奥に住んでいた鬼が、悪業をしようと都に度々現れて、その鬼に対して豆を投げたところ、その豆が鬼の目に当たり、鬼の撃退が成功したと言い伝えがあります。これが、豆まきの由来となっています。

 

このように、奈良時代には厄除けの儀式として始まり、平安時代に豆まきの原型ができたというわけです。また、豆は、『魔滅(まめ)』と書くことができることから、無病息災の効果も期待されていたようです。

 

お寺の行事が、庶民の行事へ『鬼は外、福は内』

時代は進んで、室町時代には、現在でも使われている『鬼は外、福は内』という言葉が使われるようになりました。

 

さらに、時代は進んで、江戸時代の中期には、節分の豆まきは、お寺の行事として行われるようになりました。このお寺の行事がきっかけとなって、豆まきの風習が多くの庶民に伝わり、一般的なものになっていきました。

 

豆まきの豆は、炒った豆じゃないとダメ!

豆まきに使う豆は、炒った豆じゃないと駄目なのは、ご存知ですよね。生の豆をまいて、後で拾い忘れた豆から芽が出ることは、縁起が悪いとされているからです。

 

ですから、炒った豆は『福豆』とも呼ばれています。そして、最後に、鬼を退治した豆を、人間が食べることで、鬼を完璧に退治できたことになるのです。

食べる豆の数は、『数え年の数』です。

 

また、語呂合わせですが、豆を『炒る』は、魔目を『射る』の意味に通じているため、『炒る』ほうが、鬼(病魔)に良く効くとされてきました。

 

この記事を書いた人
清水 浩治 シミズ コウジ
清水 浩治
◆ブログ「 未来の家」では、私の住む街「加古川」の魅力を紹介、不動産に関する豆知識や、トラブル解決など、情報発信を日々行っております。◆「家や土地の物件情報も大切です。しかし、もっと大切な情報があるはず!」と、私は、いつも考えています。◆加古川市で暮らしていただくうえで、大切な子育てや、お役立ち地域情報、不動産の取扱いについて知っていて欲しいことを最優先で発信しています。
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