2月3日は、節分ですね! 節分って、けっこう昔からの行事で奥が深いですね!
2月3日が、『節分』であることは、日本人であれば、ほとんどの方がご存知ですよね!節分は、『季節を分ける』という意味で、季節が移り変わる節目の日に行われる行事です。
昔から、立春、立夏、立秋、立冬、の前日に、1年に4回の節分がありますが、その中でも、特に、春が1年の始まりとして重要視されていたので、時代が進むにつれて、春の節目にのみ『節分』が行なわれるようになりました。
豆まきの由来、それは奈良時代にさかのぼります
節分の歴史は、とても古く、奈良時代の705年に始まったそうです。このときの日本は、疫病が流行していて、死者が多くでました。事態を重く感じた、ときの偉い人が、『鬼儺(おにやらい)』という儀式を行い、災いを祓おうとしました。
そして、豆まきが始まったのは、平安時代の890年ごろとされています。
当時、立春の節分は、今の大晦日にあたるため、宮中では、『追儺(ついな)』と呼ばれる儀式が行われていました。これは、陰陽師によって、旧年の厄や災難を祓うための儀式で、豆まきの原型となる行事でした。
鬼退治の伝説
伝説では、山奥に住んでいた鬼が、悪業をしようと都に度々現れて、その鬼に対して豆を投げたところ、その豆が鬼の目に当たり、鬼の撃退が成功したと言い伝えがあります。これが、豆まきの由来となっています。
このように、奈良時代には厄除けの儀式として始まり、平安時代に豆まきの原型ができたというわけです。また、豆は、『魔滅(まめ)』と書くことができることから、無病息災の効果も期待されていたようです。
お寺の行事が、庶民の行事へ『鬼は外、福は内』
時代は進んで、室町時代には、現在でも使われている『鬼は外、福は内』という言葉が使われるようになりました。
さらに、時代は進んで、江戸時代の中期には、節分の豆まきは、お寺の行事として行われるようになりました。このお寺の行事がきっかけとなって、豆まきの風習が多くの庶民に伝わり、一般的なものになっていきました。
豆まきの豆は、炒った豆じゃないとダメ!
豆まきに使う豆は、炒った豆じゃないと駄目なのは、ご存知ですよね。生の豆をまいて、後で拾い忘れた豆から芽が出ることは、縁起が悪いとされているからです。
ですから、炒った豆は『福豆』とも呼ばれています。そして、最後に、鬼を退治した豆を、人間が食べることで、鬼を完璧に退治できたことになるのです。
食べる豆の数は、『数え年の数』です。
また、語呂合わせですが、豆を『炒る』は、魔目を『射る』の意味に通じているため、『炒る』ほうが、鬼(病魔)に良く効くとされてきました。
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