あれから26年「阪神淡路大震災」始まったこと、変わったこと、そして教訓
今から26年前の平成7年(1995年)1月17日 午前5時46分
阪神淡路大震災は、6,434人の命とともに
多くの大切なものを私たちから奪っていきました。
そして今日、震災での犠牲者を追悼するとともに、
震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくため、「阪神淡路大震災1.17のつどい」が、神戸市中央区の東遊園地で行われました。
でも、今年のつどいは新型コロナウイルスの緊急事態宣言下にあるため、追悼行事の多くが規模を縮小して「密」を避けるなど、例年とは異なるかたちで行われました。
筆、新築一戸建て購入応援「仲介手数料・無料・0円・ゼロ・サービス」の加古川の不動産売買専門会社、未来家不動産(株)みらいえふどうさん代表、清水 浩治
灯籠が「1.17」とともに「がんばろう」という文字を
神戸市中央区の「東遊園地(公園)」で
追悼のつどいが開かれ、灯籠が「1.17」と「がんばろう」という文字の形に並べられるなか、地震が起きた午前5時46分に静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげました。
「がんばろう」と言う言葉は、震災復興の原動力になった言葉です。
新型コロナの影響で多くの人が不安を抱えて過ごす今と26年前を重ね、心を1つに苦難を乗り越えよう、がんばろう、と言うメッセージが込められているのです。
竹や紙で作られた灯籠は、
各地のボランティアや被災者から寄せられたものなのですが、3月11日で発生から10年になる東日本大震災の被災地からも届いていました。
阪神淡路大震災をきっかけに
阪神淡路大震災が発生した平成7年(1995年)は
「ボランティア元年」と呼ばれています。
ボランテアの延べ人数は、
阪神淡路大震災のときが167万人、
東日本大震災では550万人が復興を助けてくれました。
地震だけでなく、豪雨被害でも
民家の泥かきなどに多くのボランティアが活躍しています。
その他にも、阪神淡路大震災をきっかけに、
いろんなことが変わり、新たなことが始まっています。
混合水栓レバーが「下げ止め式」に
水道の混合水栓のレバーは、
阪神淡路大震災の前までは
レバーを上げると止まる「上げ止め式」が普及していました。
しかし、阪神淡路大震災のときに
混合水栓レバーに物が落下して水が出しっぱなしになるという事例が多発したため、
震災後はレバーを下げると止まる「下げ止め式」に変わっていきました。
地震保険への加入者が増える
火災保険では、地震・津波・噴火による損害は保障されません。
そこで、昭和41年(1966年)に地震保険がスタートしたのですが、加入率の低迷は続き、阪神淡路大震災とのきの契約件数は世帯加入率9.0%でした。
そう言えば、住宅ローンの金銭消費貸借契約時の火災保険加入の説明で、
「地震保険は加入されますか?」と質問されたときに、
「関西はほとんど地震がないので、ほとんどの人が加入してないですよ」ってアドバイスをしていたことを思い出します。
しかし、阪神淡路大震災をきっかけに世帯加入率は11.6%になり、前年比30%増の伸び率を記録しました。
ちなみに、令和2年(2019年)度の地震保険の契約件数は世帯加入率33.1%です。
この数値は少ないと感じるかもしれませんが、
地震保険は火災保険とセットで契約するので、火災保険を契約した人が地震保険もセットで契約しているか(付帯率)をみると、令和2年(2019年)度の地震保険付帯率は66.7%でした。
カセットコンロとガスボンベが統一規格へ
阪神淡路大震災で避難していた人たちは、
カッセット式のガスコンロを利用していましたが、
メーカーによってガスボンベのサイズや部品が異なると使えず不便が生じていました。
これを教訓に
平成10年(1998年)2月に、日本工業規格が改正され、
ガスボンベの形状が統一されたことで、
どのメーカーのカセットコンロでも
統一されたボンベを使うことができるようになりました。
「震度5」と「震度6」に「弱」と「強」が
昭和20年(1949年)に震度階級が設定されたときは震度0から7の8段階で、その観測は観測員が体感で測っていました。
1980年代後半からは震度計による計器観測を取り入れましたが、阪神淡路大震災のときの震度階級はまだ8段階のままでした。
平成8年(1996年)4月には体感による観測を全廃し、震度計による観測に完全移行するとともに、幅が大きかった「震度5」と「震度6」にそれぞれ「弱」と「強」を設けて10段階になったのです。
その他にも
阪神淡路大震災を教訓に大規模災害に対応するため、
高度な救出救助能力を有する隊員と装備で編成される
「消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)が発足しました。
国内の大規模災害だけでなく
海外の地震、森林火災、噴火災害、豪雨被害などへも派遣されています。
また、阪神淡路大震災では
被災者に対する初期医療の遅れを露呈し、
平時の救急医療レベルの医療が提供できず、
救えたはずの命を救うことができませんでした。
これをうけて、
厚生労働省の災害派遣医療チーム「日本DMAT(ディーマット)」が発足しました。
Disaster Medical Assistance Team の頭文字をとって「DMAT」です。
基本的に1チーム5人(医師1人、看護師2人、業務調整員2人)で構成され、要請があれば現地に3日〜1週間滞在して活動します。
限界を乗りこえる原動力は「絆」です
阪神淡路大震災をきっかけに、
いろんなことが新たに始まり、
いろんなことが変わり進歩してきましたが、
それにはまだまだ限界があります。
その限界をどう乗りこえるのか。
その原動力が「絆」です。
阪神淡路大震災で救助された77%の人たちは、
家族や近隣住民により救出されています。
いかに地域との繋がり「絆」が大事なのかということが、この教訓です。
そして、その教訓が活かされて作られたのが、「自主防災組織」です。
自主防災組織がたくさんでき、地域の絆が固く結ばれるよう、震災の記憶を後世に伝わっていくことを切に願っています。
私の住む街「加古川」をもっと元気に!
加古川に暮らしていただくうえで、
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