11月17日は「将棋の日」ってご存知でした?!「棋士のまち」加古川
今日、11月17日が「将棋の日」と言う記念日なので、
なぜ今日が『将棋の日』なのか? その由来と、
『将棋の日』にちなんで、
加古川市が「棋士のまち」を掲げていること、
そして、その活動について、少し書きたいと思います。
なぜ、11月17日が「将棋の日」その由来
日本将棋連盟が、昭和50年(1975年)に定めたのですが、
その由来は、江戸時代にさかのぼります。
将棋が好きだった徳川家康が、幕府公認の技芸(ぎげい)として、
1980年頃から「御城将棋(おしろしょうぎ)」が行なわれるようになりました。
これは、徳川幕府の年中行事で、年に一回行われた将棋対局です。
その当時は、不定期に行われていたのですが、
八代将軍、徳川吉宗の時代、享保元年(1716年)からは、
旧暦の11月17日に行われるようになったそうです。
このことにちなんで、11月17日が「将棋の日」になったそうです。
170万人も増加した将棋人口
昔から将棋を指している人もいれば、将棋を指したことは無くても、
子ども頃に、「挟み将棋」や「山くずし」』など、
駒を使った遊びを楽しんだ人は多いのではないでしょうか。
昨年530万人だった将棋人口は、
2017年「藤井 聡太 四段(当時)」の29連勝が注目を集めたことで、
今では、170万人も増え、700万人を超えているそうです。
「藤井 聡太 四段(当時)」の活躍で、
将棋教室に入会する子どもたちが増えるなど、再び将棋ブームが巻き起こりましたね。
「棋士のまち」加古川市にゆかりのプロ棋士
加古川市は、古くから将棋が盛んな地域で、子どもから大人まで、
熱心な愛棋家が多くいて、様々な大会や教室が開かれています。
昭和58年に、「神吉 宏充 七段」が加古川市で初めてのプロ棋士となり、
平成5年に「久保 利明 王将」が続き、
平成4年に「井上 慶太 九段」が加古川市に転入、
平成20年に「稲葉 陽 八段」がプロデビュー、
平成22年に「船江 恒平 六段」が続き、
現在では加古川市ゆかりの棋士が5名になりました。
「棋士のまち」加古川市の活動 加古川観光大使
日本将棋連盟の現役男性プロ棋士は、160余名いらっしゃいます。
そのなかで、人口27万人の加古川市に、
5名ものプロ棋士が存在することは、大いに誇れることです。
将棋駒の産地である山形県天童市が「将棋のまち」を名乗られています。
そこで、加古川市は「棋士のまち」を掲げて、
将棋を取り入れたまちづくりを進めています。
その一環として、平成23年に、
公益社団法人日本将棋連盟の公式棋戦として「加古川青流戦」を創設して、
将棋のまちを広く全国に発信して、将棋の普及に努めています。
なお、加古川市にゆかりのある5名のプロ棋士の方々は、
加古川観光協会から「加古川観光大使」に任命されています。
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